(初出:nmtalks)
写真撮影は僕の20年来の趣味だけど、自分が望む構図や風景を撮る時に「いい写真を撮る」っていう最終目的や完成予想図がちゃんと頭に入ってる人というのは、どうすればその写真を収められるかっていう考えになるから、色んなことに気づいて注意しながら撮影に臨めるし、今与えられている機材なり環境なり制約を認識したうえで、良い作品というものに辿り着くことができるんだと思う。
一方で、「カッコイイ俺様がカッコイイ写真を撮る」っていう思考回路の人は、シャッターを下ろしてる自分がもうカッコイイから、そこで自分のミッションが完遂してしまっていて、仕上がりも当然カッコイイものになると思い込んで、色んな注意が漏れてしまう。そして結果は予想とはかけ離れた無残なものになる。でもってそれを被写体や環境のせいにして「あーあ、●●があればなあ」とぼやいてみたり、機械のせいにして「ミズノ、俺一眼レフ買おうと思ってるんだけど」って相談してくるのもいて、僕は内心やれやれと思うことがある。
目標や目的がハッキリしてる人たちは、頑張ることをいちいち意識せず歩き出してるものだし、反対に、自分がカッコイイと思って行動してる人たちは、いろんなリソースが「俺カッコイイ」に注がれてしまって、大概は成果が出ないものだと思う。
誰もが自分のことはスキだから、自分に酔う時があってもいいと思うけど、それで思うような結果が手に入らないからといって人やもののせいにするのって、凄くカッコ悪いよ。
でも、こういうどうしようもない負のスパイラルっていうのはどんな個人や組織にもあり得ることで「写真を撮る」「俺カッコイイ」「機械のせい」を別の言葉に置き換えてみると、いろいろ思い当たるフシが出てこようかと思う。どんなに努力したって結果がついてこないこともあるんだから、自分が注力しなくちゃいけない事柄を、しっかり見極めていなくちゃ欲しいものは遠ざかるばかりだよなぁ…
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